昨日の続きでAgenda No.2
大多数の人たちが、自分や子供達に成功への機会が公平に与えられているとは信じなくなった時。「人々の自発的な協力」という暗黙の社会契約によって成り立つ現代社会は瓦解し始める。そして「協力」の代わりに出てくるのが、コソ泥、不正、詐欺、キックバック、汚職、といった大小様々な破滅だ。
経済資源は徐々に、生産するためのものから、すでにあるものを守るためへと変質してしまった。だが、私たちにはこうした状況を変える力がある。ごく少数の為でなく、大多数の為に機能する経済をさせる力だ。
カールマルクスの言うところの、資本主義は容赦なく経済格差や不安の拡大をもたらすなどという事は全くない。資本主義の基本原則は不変の法則ではない。すべての人が決め、人が実行していることなのだから。
しかし、何を変えなければならないかを決めるか、それを実行するためにはまず、何がどうしてこうなるのかを理解しなければならない。
この四半世紀、米国などの先進国に暮らす普通の人々が足場を固めることが出来ないまま、募る経済的ストレスにさらされているのは何故かという事について、単純に言えば、グローバル化(人、モノ、金)と技術革新が多くの人々から競争力奪ってしまったことが原因である。
我々がやってきた仕事を、今や海外の低賃金労働者やコンピュータ―制御の機械が、もっとも安価にこなしてしまうからだ。
私(Tobiuo)の解決策は(水素社会を作ることだ)。政府をもっと活動家(イノベーション)型にすることであり、つまり富裕層へ増税して(特に年金制度、社会制度、健康保険制度)をその金を教育制度へ、人々を前進させるための手段に回したり、経済は一人一人にとってよくうまく機能するはずである。だが富裕層は守りに固執し、低所得層は反乱を起こして、テロやISを作ったのも富裕層である。
私が唱えてきた対応策は今でも有効であると思うが、私は次第に、それだけでは決定的に重要な現象を見落としいるようになった。それは、政治的権力が企業や金融センターのエリートたちにより集中するようになり、経済を動かすルールまで影響を与えるようになっていることであった。
なぜならそこには、経済ルールを規定するという論点が「自由経済の美点」対「活動型の政府」の是非に陥り、いくつかの重要な論点、例えば、現在の市場が半世紀前の市場比べればどれほど異質なものになってしまったか、何故50年前にはうまく分配されていた繁栄が、現代の仕組みでは広く共有できなくなるのか、さらには、市場の基本ルール(定義)とはどうあるべきか」という論点から人々がそらされてしまったのである。
私(Tobiuo)は次第に、そんな風に目をそらされたのは決して偶然ではないと思うようになった。大企業の重役や彼らを取り巻く弁護士やロビースト(日本では(政治家)、金融業者やそこに群がる政治家、など「自由市場」を超え高に擁護する者たちは、何年もかけて自分たちを利するようせっせと市場を再構築し、そうしたことが問題にされないことを望んできた。
すなわち【最後の資本主義】著者ロバート・B・ライシュを読んで、トランプ大統領の誕生の深層が理解できます。
Tobiuo 雑学:Agenda No1.では、市場が如何に資産をめぐるルール(何が所有可能か)や独占をめぐるルール(市場の力はどの程度まで許容可能か)や契約をめぐるルール(何が取引可能であるか、それは何が条件下か)や倒産をめぐるルール(購入者がカネを払えくなると何が起こるか)に依存しているか、そしてそれらのルールがどのように執行されるかを。
こうしたルールは自然界に存在したものではない。いずれも人間があれこれ決めていったはずだ。そして大企業や金融業者や富裕層が、過去数十年をかけて、かれらを監督する政治組織に対して影響力を増強させていくにつれ、ルールも変えられていったのです。それと同時に1930年代から1970年後半にかけて、中心的な拮抗勢力として中間層や下位中間層が影響力を行使することを可能としてきた労働組合や中小企業、小口投資家、地方や中央政府を拠点とする政党といった組織は弱体してしまった。その結果出現したのが、富める者が持てる富をさらに増幅させることを目的に作り上げた市場だ。
市場の内部で、中間層や貧困層から少数の上位層へ向かう、かってないほど大きな事前配分が起こった。それが市場メカニズムの内側で発生しているため、ほとんど気付かれないまま進行したのである。 続きは、次回に
MIM科学技術研究所(F.N) 断腸亭にてTobiuo
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